セッキ―君のブログ

会社員時代に学んだや手法や可視化ツールを皆さんにも日常使いして頂きたいと思い始めました。このブログで紹介した内容について皆さんとコミュニケーションが取れたらうれしいです。

シニアの転職日記9~転職は職務経歴書が9割

前職は一年間勤めることができたので、ハローワークに登録し雇用保険のお世話になることができた。でも、転職エージェントに登録して1か月経ったが、全く紹介無し。

このまま何もしないで時が過ぎるのはムダと思い、シニア層対象の”履歴書”、”職務経歴書”作成の書き方セミナーを受講することにした。

このセミナーは、求職活動としても認められるので、渡りに舟であった。実は、あまり期待はしていなかったのだが、このセミナーで学んだ方法で”職務経歴書”を書き直した結果が凄かった。

5月後半に書き直し、転職エージェントに再登録したら、一か月の間に、あっという間に4件の紹介が転がり込んできた。内、書類審査OKが3件。確率高くてびっくり。

現在は、その内の一社に7月からお世話になっているが、これを自分一人だけの秘訣にしたくないので、皆さんに以下共有したい。

職務経歴書は、やってきたことの自己PRだと思い、今までの経験やスキルを目一杯、盛って書くものだと思っていた。だから、職務経験が長い私など、ものすごい量になってしまう。でも、それが善しと勘違いしていた。ハローワークセミナーで学んだことは、見てもらって”なんぼ”だっていうこと。だから、職歴の多い人、職務経験の長い人は、表にまとめたり、スキルごとにまとめる方が良いっていうこと。言われてみれば、すごく当たり前のことで、自分が採用側だったら、目一杯書かれた、何が言いたい職務経歴書なんて読む気しないよね。

その甲斐もあって、6月中旬に採用が決まり、7月から新しいフィールドで仕事をしている。単なる職歴経歴書なんだけど、如何に見てもらえる書類になったことが大きかった。ありがとう!ハローワーク、シニアセミナー。

シニアの転職日記8~退職した本当の理由

2023年3月末、昨年転職したばかりの会社を辞めた。
個人事業主から、少しでも収入の安定した、自分のスキルを活かせる会社だった筈。

何でやねん?妻もどうして?って聞いてきたけど。そこには深い思いがあった。

いくつかの語りつくせぬ原因があるのだが、人に言いやすい事柄を挙げるならば、2つ

かな。

一つは、スキルや能力がありながら、給料を低く抑えられていたこと。嘱託だから、

しょうがない。って思っていた時期もあったが、同じタイミングで入った年下の奴より

もアウトプットはあった。確実に。でも、彼等は正社員だから、私よりも全然、給料が

多かったと思う。二つ目は、そんなの我慢しなさいよ!もうシニアなんだから!って

言われるかもしれないが、でも我慢できなかったのは、タメグチで話されること。

正社員と嘱託の壁かもしれないが、それは、それ。年上をリスペクトしない話し方で

何年も一緒に仕事できないと強く感じる様になった。まあ、そんなことだけで?って

思う方々もいらっしゃるかと思いますが、いい年こいて、我慢しながら仕事したくない

し、楽しく仕事したいですよね。だから、思い切って辞めてみました。抗議の意味も

兼ねてね。緩い会社の雰囲気、おいしい食堂と別れるのは寂しかったけどね。

実力を認めてくれて、それなりの給料を出してくれる会社を探そう。

シニアの転職日記7~転職できた理由

みなさん、こんにちは。セッキ―です
もう初夏という感じの気候ですね。街中には新入社員と
思しきフレッシュ感一杯の若者達を見かけます。
なぜ見かけるかと云うと、私も
2年ぶりに会社勤めを
始めたからです。なので、
ブログも少しサボってました。
今日は、転職
日記の総括として、なぜ、私が転職でき
たか?
その理由についてお話ししたいと思います。
3つあると思います。
一つ目は、自分の市場
価値を知り妥協すること。
二つ目は企業側が
求めているスキルに敏感になること。
そして、
三つ目は諦めないこと。
この三つがうまく
ハーモナイズした時、転職が決まる
のではな
いかと思います。

一つ目の市場価値ですが、私もご多分に漏れず、前の
給料以上のモノは求めずとも、せいぜい2割、
3割減
ぐらいの給料の会社を探していました。
これは、転職
エージェントに言わせると、これで
も多い、この半分
でも成功するかどうか、だそう
です。最初の1年は
これが理解できず、全く
当たりがなく、海外での転職に
活路を見出そう
としました。海外だからと言って、
給料を多く
出す、という妄想はどこから来たのか?
自分が海外赴任経験者だということも影響しておりま
したが、
これも自分の誤った感覚に気付き、サラリー
の額を、シニアの世間
相場に合わせることにしました。
二つ目の企業が求めているスキルに敏感になる!という
ことは、すなわち、
自分はこれが出来る、自分には
こんなスキルがある人材だと思っていても、企業が
求める人材とは、大きなギャップがあると
いうことに
早く気付くということです。私は、
生産技術出身なので、
メーカーの生産技術職で
応募をしていた訳ですが、
企業側からしてみれば、
何で態々、シニアの生産技術
職を採らなければ
ならないの?って感じです。シニア
でなくとも、
それなりの知識とスキルを持っている
エンジニ
アはごまんといますから。ですから、私は
この
こだわりを捨て、生産技術出身で人財教育もでき
ますよ!とプラスアルファのスキルを追加しました。
これが結果的には良かったと考えてい
ます。なぜなら、
転職した会社は新たに生産
技術部署を作るので、若い
メンバーの指導も
行って欲しいという募集要綱だった
からです。

三つ目の諦めないは、言わずもがなですが、圧迫面接
受けようが、面接3回受けて落ちよう
が、一週間掛け
て作成した課題レポート提出
でも落ちようが、結局は
何としても転職したい
という強い意志があれば、
何とかなるものです。
転職先は、未経験の業界で新た
に勉強しなけ
ればならないことも多く、困難も予想さ
れま
すが、それ以上に新たな出会いや学びを得られる
という期待の方が大きいような気がします。

また、機会があれば、転職先での奮闘記でも綴りたい
と思います。では、転職希望のみな
さんも頑張って
ください。

シニアの転職日記6~就活生の大変さを知る

みなさん、こんにちは。セッキ―です。
卒業式も終わり、これからは入学式、入社式、そして
就活生の本格的な会社訪問と新たな活動が始まります。
私も恥ずかしながら、4月1日より新入社員として、
某メーカーに出社することになりました。2年ぶりの
会社、嬉しい反面、不安で気持ちが押しつぶされそう
な感じがしています。

今回の転職における一連の選考過程で、私は初めての
経験をしました。それは、一次面談通過後のWeb
でのSPI試験と英語試験です。いやぁ、びっくり
するも何も、SPIの試験がこんなに難しいなんて
知りませんでした。インターネットでいくつか例題は
こなしてはいたものの、本番では、全く時間が足りず、
時間切れで答えられない設問が多くありました。
発狂しそうでした。負け惜しみですが、計算式を
キチンと書いたり、漢字の意味をゆっくり考えれば、
多分、半数以上は正解するような問題です。でも、
シニア世代は、頭の柔軟性が低くなっていているので、
速く答えをださなきゃっ、時間がない!と思っただけ
で思考回路がパニくるのです。終わった後、思ったの
ですが、就活生は、こういった試験をエントリーした
企業数分、受けるのでしょうね。そして、微妙な選考
になった時、このSPIが当落の要になるのでしょうか。
本当、大変だと思います。でも、こんなので、足切り
されたらたまりませんよね。若い方は、頭が柔らかい
でしょうから、数をこなせば何とかなると思います。
今からでも全く遅くはありません。ゲーム感覚で是非、
練習をしといてください。シニアになったら無理です。
就活生、がんばれ!



シニアの転職日記5~退職から2年経過

みなさん、こんにちは。セッキ―です。
昨日、みぞれ降る中、献血に行ってきました。本当寒かった
です。
この歳になると、社会貢献ができて、お金も掛からない、
ただで飲み食いできる献血が、唯一の楽しみになってます。

今回も転職にまつわるボヤキです。
先日、Webを流し読みしていたら、「大企業出身者の早期
退職組でも
転職まで2年・・・・面接にすらたどり着けない
現実」という内容の
記事があり、「えっ!そんなに厳しい
の?」私は今、61歳なので、若干、歳の差はありますが、
他人事とは思えず、その記事のタイトルにつられてしまった
のです。
その記事の筆者が言っていることは、転職成功の
ための心得としては、
①年収を条件にしない、
②転職エージェントに頼らない、だそうです。
①は私も外に出た経験上、大いに同意です。でも、私は、
②の転職エージェントに頼らない。は少し無理があるのでは
ないかと思います。
筆者は、これまで30数年築いてきた取引先や同僚とのネット
ワークから可能性を引き出せ!と言っているのです。
「イヤ、イヤ、私には、そんなネットワークありません。
もっと選択肢を拡げてくれないと」と思いましたが、一つ
だけ、当たっていることがありました。そう、2年前に退職、
転職活動を開始してから、私もまさに2年が経過。
「本当だ!」と思ったから、この記事に見入ってしまった
のです。残念!

 

シニアの転職日記4~前職を辞めた理由

みなさん、こんにちは。セッキ―です。

前職を辞めてから、2年と1か月。辞めたころは、いつも
夢に出てきた負の風景も、最近は違う夢に置き換わってきて
います。社長に乞われて、転職を決意し、転職はしたものの、
自分が思い描いていた仕事はなく、何の為に乞われて移った
のか、その理由が分からないまま、2年が過ぎていました。

年度の始めに、自分がやるべき仕事は、「これだ!」と思い、
目的に向かって突き進んだものの、〇長の逆鱗に触れてしま
ったのです。自分では会社、従業員にとって良いことをして
いると思っていたのですが、どうやら、それは錯覚だったの
です。その会社の現場の組織は、主任やリーダー、係長など、
どこの会社にもあるように役職があり、指揮命令系統はしっ
かりしていましたが、拠点間の連携がなく、それぞれの拠点
で拠点最適のやり方で業務を進めている感じで、現場全体
としての標準がなく、何か改善をしようとしても、横展開が
できない状態でした。私は、こういった状況を打破するに
当たり、現場の横の連携を活性化する方策として、係長会や
主任会など、階層の横ぐしを刺す組織を作ろうと考えました。

ところが、〇長はコストカットの一環として、組織をフラ
ット化させ、文鎮型の組織とすることで役職を廃止する
構想を描いていたのです。それで、私のやっていることが
気に入らず、辞めさせろ!となったようです。結局、私は、
追われる様に会社を去りました。

役職定年で転籍になった会社を辞めなければ65歳迄、何の
不自由もなく会社員生活を送れていたのに、まさか自分が
転籍後の会社を辞め、転職した会社も60前で辞めるとは
想像もしなかったことでした。
そこから転職活動を始めたもののシニアの求人が少ないこと
に加え、丁度コロナ禍で転職需要が落ち込んでおり、転職を
諦め、個人事業主として、自立の道を選んだのです。

シニアの転職日記3~この歳にして圧迫面接

みなさん、こんにちは。セッキ―です。


2020年の暮れ頃、エージェントから、ある商社で
〇〇の生産技術経験者を探しているので、応募して
みませんか?とお誘いがあった話しです。
もうこの時は、コンサルで飯食っていこうと思っていた
矢先だったのですが、自分の得意分野であること、給料
の額に魅せられて、ダメもとでもいいやと応募したのです。
すんなり書類選考も通過し、一週間ほどで面接日を迎える
こととなりました。これはWeb面接ではなく、対面での
面接でした。エージェントと駅地下にある喫茶店で待ち
合わせ、募集要項の確認、どういう方が面接官として対応
するか、概略の情報をもらい、面接に臨みました。
面接官は事業部長、課長、そしてA会社出身で技術責任者の
Bさんの3人で、簡単に挨拶を交わした後、資料を基に先方
の海外事業の説明が始まり、暫く聞いている状態が続き
ました。
面接に付き物の「自己紹介お願いします」や「応募の動機
は何ですか」は全くなく、黙って聞いているだけの時間が
30分ぐらいありました。説明はほとんど、部長さんと
課長さんによるもので、今回の募集の理由が、面接官とし
て同席している技術責任者の後任ということも、この説明
で判明しました。
一通りの説明の後、質問もさせて頂き、「これで面接なの
かな?質疑だけで終わり?」と思った矢先、今度は、
面接官の部長さんが技術責任者の方へ向かい、ではBさん
から、質問をお願いします。と面接のバトンタッチがされ
ました。
ここからが悲惨な面接の始まりでした。Bさんは、鋭い
眼光でドスの利いた声で「この仕事は、海外のプロジェ
クトで一から
十まで、自分でやる能力がないと務まらない。
あなたは、N社でそれなりの経験は積んでいるようだが、
海外で○○しか情報が無い時、XXはどうやればいい?」
とリアルな質問をしてきました。私は、突拍子もない、
意表を突いた質問にしどろもどろになり、冷静に考えれば
分かりそうなことを、あさっての方向の答えを出して
しまったのです。このような質問が、この後も2~3続き、
私は、「私もプロジェクトマネージャーの経験ありますし、
海外でそういうことも経験しました。」と質問に対する
答えになっていない回答をするのがやっとの状態。
Aさんは、「それじゃあ、現地にいる者も困っちゃうよね」
私は、完全にノックアウト。
最後に、何か質問ありますか?と尋ねられたので、私は
最後の意地を見せて、「Bさんは、色々と経験されていて、
スキルも豊富のようですが、A
会社時代は何をご担当され
ていたのですか?」と聞いてみました。そうすると、少し
躊躇したように「〇〇△実験」という答えでした。私は、
この回答にびっくりし、「それは、すごいですね」と返す
のがやっとでした。何もすごくないのですが、返す言葉
も思いつかず、とっさに、そういう言葉を返したのでした。

帰路、電車の中で質問のやり取りを振り返り、あの質問
には、こう答えれば良かった。あの場合は、こう切り
返せば良かったと、何で舞い上がっちゃったのかな?と、
でも、舞い上がってしまったのは、あの変な質問と人を
小ばかにしたモノ言い。私は生産技術30年の経験で、
大したことはやっていませんが、経験のない〇〇△屋に、
質問で圧迫、翻弄され、本当に情けないなと思いつつも
悔しさで怒りが一杯でした。また、こういう風に考える
ことで自分を納得させるのでした。
「こんな圧迫面接してくる人間がいる会社に入れなくて
本当良かった」と。